長崎家庭裁判所佐世保支部 昭和44年(少)903号 決定 1969年9月24日
少年 M・H(昭二四・一一・一〇生)
主文
この事件については審判を開始しない。
理由
本件は当裁判所が昭和四四年八月一八日検察官送致の決定をなした当庁昭和四四年少第八二七号恐喝未遂保護事件(非行事実は別紙(一)のとおり)の再送致事件である。
而してその再送致の理由(別紙(二))は、要するに本件は公訴を提起するに足りる犯罪の嫌疑がないので訴追を相当でないというにある。
右再送致の理由記載の検察官の判断については当裁判所はこれを首肯し得ない点もないではない。
例えば検察官は、少年らが○村に対し自動車の運転をさせることを要求し、「金は持つとるか。」と申し向けたこと、および○村が畏怖していたことを認めながら、少年らが腕力を行使しあるいは具体的に○村に対し生命身体等に危害を加うべき「言辞」を用いた事実がない故のみをもつて脅迫行為が存しないと結論されている。
しかしながら恐喝罪における脅迫とは、その言動によつて被脅迫者に害悪の来るべきことを認識せしめるものであれば足り、必ずしも明示の且つ言語による害悪の告知であることを要するものではなく、またその害悪の具体的内容を示すことも必要ではないものと解されるところ、本件では少年らの風体によりすでに畏怖していた被害者に対して財物または財産上の利益に関しての不法の要求(検察官においても「社会通念上相当に押しつけがましいもの」とされる)をなしたものであり、その言動と相俟つて脅迫行為の有無を判断すべきではなかろうか。ましてや「金は持つとるか」という言葉が所持金の有無を確認する言葉にすぎないとするは、全く皮相的な見方というべきであり、その語勢や当事者間の関係、時間的、場所的状況等によつて、その意味が異なつてくることを留意すべきであろう。
なお検察官は原決定判示中「操作不良のため同車を発進でき」ないことが障害事由となつたとは奇妙であると非難される。原決定にいささかその意味の明確さを欠く点があつたことは否定しないが、当裁判所の判示する本件犯行の障害事由は、右判文に続く「警察官に逮捕され」たことであつて、前記判文は逮捕時点の状態および乗車利益を受くるに至らなかつた状況を示すものである。
けれども公訴を提起するに足りる犯罪の嫌疑の有無については、公訴官たる検察官の判断を尊重せざるを得ないから、右の点についての判断の当否はさておくこととする。
しかしながら、本来検察官が少年の被疑事件について家庭裁判所に送致できるのは、犯罪の嫌疑があることをその前提とするものであつて(少年法第四二条前段)、捜査の結果犯罪の嫌疑がない場合においては、これを家庭裁判所に送致することなく、犯罪の嫌疑なき旨の検察官限りの処分により事件を終結すべきものである。
本件は前記のとおり検察官送致後の再送致事件であつて、少年法第四五条第五号但書に基づくものと思料されるが、右但書の法意は送致を受けた事件の「一部」について公訴を提起するに足りる犯罪の嫌疑がないため、「残部」のみにては訴追を相当でないと思料される場合であり(その他の場合については本件と直接関係がないのでふれない)、右残部についてはなお公訴を提起するに足りる犯罪の嫌疑があることがその前提となり再送致される事件もその残部に限られるものであつて、事件全部について犯罪の嫌疑がない場合はこれを含まないものと解すべきである。
問題を実質的にみても、時間的に限られた制約の中で、家庭裁判所が一応犯罪の嫌疑あるものと認定し、その罪質および情状を考慮して検察官送致をした事実について、検察官は更に捜査をとげた上、公訴を提起するに足りるだけの犯罪の嫌疑がないと判断したものであるから(しかも前記のとおり、この点についての検察官の判断は家庭裁判所としてもこれを尊重せざるを得ない)、再送致を受けた家庭裁判所が再び犯罪の嫌疑あるものとすることはできないし、ましてや犯罪の嫌疑なきことを前提としながら、これに保護処分を加えることのできないのは自明の理である。
もつとも本件再送致の理由末尾には、本件少年にはぐ犯事実のあることが付言されており、検察官としてはぐ犯事件につき家庭裁判所に送致できることは当然であるが(少年法第四二条後段)、本件の送致罪名は勿論、前記の如く訴追の不相当性をその理由としていることからみても、これをもつてぐ犯事件の送致とみることはできない。
以上のとおりであつて、結局本件送致は少年法第四五条第五号但書の要件を充足しないもので、送致手続にかしがあり審判の条件を欠くものといわなければならない。
よつて少年法第一九条第一項前段を適用して主文のとおり決定する。
(裁判官 淵上勤)
別紙(一)
(非行事実)
少年は外一名と共謀のうえ、金員および財産上不法の利益を喝取しようと企て、昭和四四年七月○○日午後九時四〇分頃、佐世保市○○町○番○○号○○○屋呉服店前路上において駐車中の普通乗用自動車の運転席に乗車していた運転手○村○助(当二〇年)に対し、「おいこら、どこに行くか。俺に運転させろ。」と申し向け、もし右要求に応じなければどのような危険を加えるかもしれない気勢を示して脅迫して同人を畏怖せしめ、よつて同人をして少年らに同車を運転させることを承諾せしめて同車の運転席に乗込み、更に同車内において、同人に対し「なしてお前は腕時計ばはめとらんとか。金ばもつとるか。」等と申し向けて前記のとおり畏怖した同人から金員を喝取しようとしたが、操作不良のため同車を発進できないまま警察官に逮捕され、その目的を遂げなかつたものである。
別紙(二) 再送致の理由
本件は、公訴を提起するに足る犯罪の嫌疑がない。
すなわち、少年に対する逆送決定書記載の非行事実は、外形的には一応これを認め得るが、右は恐喝準備行為たる虞犯に止まるものと思料される。
その理由の詳細は以下に述べるとおりである。
一、先ず少年らが、○村○助の自動車に乗車した事実は明白であるが、右乗車時までの行為が乗車利益という財産上不法の利益を得るための恐喝または少年らに同車を運転させることを承諾せしめた強要であるといえるか否かにつき検討すると、少年ら、特にAにおいて、○村に対し、乗車と運転させることを要求したことは明らかであり、他方○村において畏怖していたこともこれを認め得る。然して見ず知らず、またはほとんど交際のない者に対し、右のような要求をすることが社会通念上相当に押しつけがましいものであることは勿論である。然しながら少年らが乗車するまで○村に対し腕力を振つた事実は勿論その生命身体等に危害を加うべき言辞を用いた事実は全くない。○村が畏怖した原因は単に不良風の少年らから話かけられたという事実に基づくのみであつて構成要件的行為として把握可能な具体的行為たるものに基づくものではない。(○村のみならず○口○美、○端○子らは単に少年らが道路上を歩行し同人らに接近しつつある状態ですでに畏怖感情を有している。そのこと自体は納得可能な心理状態であるが異様な風態の人物が歩行し、あるいは話かける行為をもつて直ちにそれが脅迫であるとはいい難い。)
加えて、少年らは右時点までの喝取の意思を否認しており、事前共謀が存したと認めるに足る事情もない。本件においては少年らが乗車を要求した行為が直ちに、それだけで、害悪の告知を兼ねるものとは即断し難い。(少年らの所持金は少額であるが、これは本件では動機として薄弱である。また「おいこら」等という言葉は発せられなかつたものと認められる。)
してみれば○村の畏怖は構成要件的行為に基づく畏怖ではなく、結局脅迫行為が存しないことになるので、少年らが○村の車に乗り込んだ行為自体をとらえて恐喝未遂ないし強要に該るということはできない。
二、次に車内において腕時計をはずしたと因縁をつけたうえ「金ば持つとるか」という質問がなされた事実は明白である。しかしながらその際多少少年らの語気が強くなつたとしてもなお害悪の告知とはいい難い。(○村が警戒し時計を隠したことをもつて自分らの意図を誤解したものであるとして立腹した旨の少年らの供述は説得力がある。)また、「金ば持つとるか」という文句は金を要求する言葉ではなく、その一歩手前の所持金の有無を確認する言である。
現場の状況も恐喝の実行行為の場所としては不適当なうえ、自動車という○村を拉致するに足る装置内の出来事であるから少年らが本件現場で恐喝行為に出ようとの意思を有したことは不自然でそのためには場所を移動したものと思料されるところ、○村○助、前記○口、○端らは異句同音に「他所へ連れて行かれたら大変なことになると思つた」旨供述し、少年Aも恐喝行為は他所で行なう旨自供している。また少年M・Hが「ここじやまずかけん車を出せ」と発言した事実が認められるが、この言によつても本件が恐喝未遂ではなく、更にその前段階の恐喝準備行為であることは明らかといわねばならない。逆送決定書記載の非行事実末尾に「操作不良のため同車を発進できないまま警察官に逮捕され、その目的を遂げなかつた」とあるが現に恐喝行為に着手しその目的を推進するため脅迫行為を継続していたとするならば「操作不良のため同車を発進できない」ことが障害事由になつたというのは奇妙である。
三、結局少年らは車内で「恐喝をしよう」との意思を有するに至つたが右意思を実行に移すには場所が不適当であると思料し、未だ暴行脅迫に出ることなく同車を発進させようとしていた際逮捕されたものとみるのが本件の真相に近いであろう。(そうなると当初少年らが○村の車に乗り込んだ理由が問題になるが少年らの非行歴に鑑みその自己中心的性格を考慮すると「ちよつと車に乗せてもらう」という社会通念上は不躾な行為もあながち不自然とはいえないのみならず、少年らの供述を覆えし当初から自動車そのものを喝取ないし窃取する意思があつたと認定し得る証拠がない。)
なお、少年Aが○村に対し、車内で手を振りあげる様な形を示した模様であるが、この事実は必ずしも確実なものではなく(少年らは供述しない)しかも前記の如き状況下にあつてはこれをもつて恐喝の手段たる脅迫と目することは困難である。
右のような次第で本件は恐喝未遂ではなく恐喝準備行為に止まるとの疑念を払拭し得ず結局公訴を提起するに足る犯罪の嫌疑がないがなお少年には左記の虞犯事実が認められ右虞犯はその行状、性癖、交友関係、非行性の程度等を考え合わせると特別少年院送致が相当と認められるので本件を更に送致する次第である。
記
(虞犯事実)
少年は恐喝等の犯歴を有するものであるが、
一、昭和四四年七月○○日午後九時過ぎころ、佐世保市○○町二番○号グリル「○ン○ツ○ン」こと川○保○子方において飲酒し、
二、同日午後九時三〇分ころ、犯罪性のあるAと共に同市内の盛場を徘徊し、
三、同日午後九時四〇分ころ、同市△△町三番○○号○○○屋呉服店前路上において、○村○助(当二〇年)から金品を喝取しようとの意思を生じたが実行の着手に至らず、
もつて犯罪性のある人と交際し、その性癖として自己の徳性を害する行為をしたものである。